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「イジる」ことと、他者への想像 力について~或いは自己紹介⑤~

始めまして。
プログラム部の足達です。皆には「たっちゃん」と呼ばれています。
まだ自己紹介②を書いてない広報部の紅一点の人に「たっちゃんブログ書いてよ」と言われたので、初更新に挑戦してみます。

さて、

「ありとあらゆる人間関係において。軽度の攻撃は、快楽になる。」
僕の好きなあるゲームに、このような台詞が出てきます。
例えば僕らは日常生活において、友達をイジる、ということをしたりします。ここでいう「イジる」とはつまり、友達に対して、少し攻撃的な言葉をいうことで、その場に笑いを巻き起こすような行為のことです。
確かに僕の日常的な会話の体験を振り返ってみても、誰かをイジってその場に笑いが起こったとき、イジった方は勿論、イジられた方も満更ではないような、ある種快楽的な感情を抱いてるように思えます。

では、何故僕らは「友達をイジる」というようなことをするのでしょうか?
そうすることは、何故イジった方だけでなく、イジられた方に対しても快楽を生むのでしょうか?
「ありとあらゆる人間関係において。軽度の攻撃は快楽になる」とするならば、一体そこにはどういう意味が隠されているのでしょうか?

僕の考えでは、「イジる」という行為はお互いの親密さを確認する為のものなのだと思います。
初対面の、まだ余りよく知らないような人に対面した場面において、いきなりその相手をイジるようなことを、僕らは基本的にしないでしょう。
少なくない一緒の時間を過ごし、お互いのことがある程度分かるようになってから、ようやく僕らは「イジる」「イジられる」関係性を築くことが出来ます。
イジることは、互いの距離がある程度縮まってから初めて可能になる行為な訳です。

だとするなら、僕らがイジるという行為をする時、その裏には「互いの親密さを確認する」という隠れた意味合いがあるといえるのではないでしょうか。
つまり、「イジる」ことには、相手にワザと攻撃的なことを述べることで、「私達はこんな傷付くような一言をいっても、それが冗談だと受け取れるほどに、親密な仲なのだ」という確認をお互いに行っているのではないかということです。だから、軽度の攻撃によって快楽がもたらされるのだとすればそれは、親密さを前提としたものとして、生じているのではないかと思われます。

ただ、ここで注意しなければならないことは、僕らが誰かを「イジる」時、自分は軽度な攻撃として放った言葉が、相手には過度の攻撃として捉われてしまうような状況が、往々にしてあり得るということです。
「言葉は弾丸に似ている。一度放てば、取り返しがきかない。外れるか、傷つけるか」
同じく先ほど例に挙げたゲームに登場する台詞です。
自分は親密さを確認するつもりで放った一言が、相手を傷つける弾丸となってしまったようなこと。
人間関係において、誰しも一度や二度、そのような体験を持っていることでしょう。
中にはそのような一言によって、親友や恋人を失ってしまったような人もいるかもしれません。

ここで重要なのはきっと「相手の立場を想像すること」でしょう。多くの人は、他人に触れられたくない部分を持っています。知らないうちに「相手を傷つける一言」を発していないか、相手への想像力を働かせながら、距離を計りあうこと、そして「イジる」ことが大切なのだと思います。

勿論それを絶えず続けることは中々難しいですが、無神経な一言がついうっかり口を滑ってしまわないよう、相手の立場を想像しながらの、日常の会話を心がけたいものです。
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立命館 キャリア・デザイン・フォーラム

Author:立命館 キャリア・デザイン・フォーラム

『想像力と責任』を身につけ未来を創造することを目的に、講演者を招いて参加者に自らのキャリアを深く考えてもらう機会を提供します。

ゲスト: 古賀茂明氏, 毛丹青氏

詳細はHome Pageにて!

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