スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

相容れない他者を許容すること~ 寄生獣について~

人生を歩んでいく中で、私たちは色々な社会集団に属することになります。
クラス、サークル、会社などなど、そこで私たちはきっと、多様な人間との出会いや別れを経験することでしょう。

例えば、そのような集団の中で、上手く馴染めていない人や、浮いてしまっている人を見かけることがあります。
その人がなかなか心を開こうとしないことが原因かもしれませんし、或いはその人の気が強く、我を通そうとし過ぎることに原因があるのかもしれません。

ここで注意しなければならないのは、私たちはそのような人を見かけた時、集団に馴染もうとしない(或いは馴染めない)彼らを理解不能な存在と見なし、排除しようとしてしまう傾向があるということについてです。
この記事では、そのような私たちの目に理解不能な存在として映る人々と、どのように向き合えばいいのか、『寄生獣』という漫画を題材に考えてみたいと思います。


さて、『寄生獣』の物語には、人間の脳を乗っ取る謎の寄生生物が登場します。
この生物は脳に寄生しなければ生きていくことが出来ない為、人の脳を乗っ取り、人間のフリをしながら社会に溶け込んでいます。
寄生生物の固体数は、全人類の合計に比べるとごく小数ですが、高い戦闘能力と、『人間という種を食い殺す』という本能を持っており、隠れて人間を捕食する危険な存在として描かれます。

この物語の主人公は泉新一という高校生の少年です。また彼の身体には、新一の頭を奪うことに失敗し、右手に寄生してしまったミギーという名の寄生生物が同居しています。
人間の脳を奪った寄生生物達は、新一とミギーの同居関係を見ると「危険な存在」だと見なし、二人を殺しにかかってきます。
物語は襲い掛かってくる寄生生物達に対する、新一とミギーの戦いを描きながら進みます。

作中では、彼ら寄生生物は暫し我々人類にとって理解不能な存在として描かれます。
彼らは我々人類とは別種の生き物なので、私達の常識や倫理は全く通用しません。彼らは自分達の考えによって人間を襲い、喰らいます。その姿は、私達人間にとっては酷く不気味で、許容できない、排除すべき存在として映ります。
なので物語の後半では、人間達は寄生生物達を殲滅する作戦を展開します。そしてこの作戦の結果、人間達は勝利を収めます。何故なら寄生生物達よりも、人間の方が圧倒的に数が多いからです。

ある一体の寄生生物が、主人公に告げます。
「我々はか弱い」
「それのみでは生きてゆけないただの細胞体だ」
「だからあまりいじめるな」
彼らは高い戦闘能力を持つので、人間と一対一で戦えば、ほぼ確実に寄生生物が勝ちます。
しかし人間が化学兵器などを用意し、多数で襲い掛かれば、寄生生物は排除されてしまいます。
彼ら寄生生物は我々人間に対してマイノリティな存在であり、人間が全力で集団になって戦えば、殲滅されてしまうか弱い存在でしかないのです。

勿論私達が実際に生きるこの世界に、このような寄生生物は存在しません。
ですが私達は現在、この寄生生物のような、相容れない異質な他者と対面しなければならない日常を生きているのではないでしょうか。

例えばグローバル化の影響により、私達の日常には既に海外の文化で育った人々が溶け込んでいます。
彼らは私達と同じ人間でありながら、文化が違い、常識が違います。彼らと私達との文化や常識が決定的に食い違ってしまった時、私達は相手をきっと理解不能なものとして見なすことしか出来ないでしょう。
そして私達の常識や文化が多数の側であった場合、私達は少数の側の常識や文化を排除しようとする方向に走ってしまいがちです。
そのように、隣人が全くもって理解不能な他者として立ち現れてしまった時、では私達は一体どうすればいいのでしょうか。

『寄生獣』の最終巻では、このような台詞が登場します。
「他の生き物の気持ちを わかった気になるのは 人間のうぬぼれだと思う」
「他の生き物は誰ひとり 人間の友達じゃないのかも しれない」
「でも……」
「たとえ得体は知れなくとも 尊敬すべき同居人には違いない」
ここでいう「他の生き物」は、そのまま「他者」に置き換えることが可能です。
例え理解不能な常識や文化を持った他者であったとしても、その人は尊敬すべき隣人であることには違いないということです。

物語のラストでは、生き残った寄生生物達は、派手な行動は慎み、大人しく社会に潜伏するようになったことが語られます。
生き残った彼らは、人間とは相容れない他者でありながら、世界に存在することを許されました。
理解不能な他者を、排除しようとするのではなく、理解不能な存在として、そのまま許容すること。
日常において、様々な他者との齟齬を経験するであろう私達にとって、これは大切なことだと思います。

「道で出会って 知り合いになった 生き物が」
「ふと見ると 死んでいた」
「そんな時 なんで悲しく なるんだろう」
「そりゃ人間がそれだけ ヒマな動物だからさ」
「だがな それこそが 人間の 最大の取り柄 なんだ」
「心に余裕が ある生物」
「なんと すばらしい!!」
私達は、心に余裕があるからこそ、相容れない他者の立場を想像するということが出来ます。
如何に理解不能な相手であろうとも、そんな彼らがマイノリティとして排除されそうになっている姿を見たとき、可哀想だと感じられます。
確かに彼らは私達の目にとって、理解不能で不気味な存在として映るかもしれません。しかしその上で、私達は相容れない他者を、相容れないまま暖かく見守るということが出来るのではないでしょうか。




たっちゃん
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

立命館 キャリア・デザイン・フォーラム

Author:立命館 キャリア・デザイン・フォーラム

『想像力と責任』を身につけ未来を創造することを目的に、講演者を招いて参加者に自らのキャリアを深く考えてもらう機会を提供します。

ゲスト: 古賀茂明氏, 毛丹青氏

詳細はHome Pageにて!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。